エッセイ

【エッセイ】母を亡くして丸3年│死って何だ?[心の変化と備忘録]

どうも、プラ子です。2018年8月をむかえ、母を亡くして丸3年が経ちました。このエッセイでは、「わたしにとっての“死”」や、「母の死をめぐる心の変化」について書いていきます。身近な人の突然死を経験し、心の危機に直面している人に届くといいなと思います。

執筆者:プラ子。学生時代、就活中に母親が急性くも膜下出血で倒れ、亡くなる。1992年生まれ、IT企業に勤務。

この記事の目次

  • 【漫画】就活中、母との会話
  • 死って何だ?
  • 衝撃だった母の死「急死は誰にでも起こりうる」
  • 母の死をめぐる「心の変化」
  • 家族との接し方「親孝行は大げさでなくていい」
  • 主婦とフリーランスは健康診断を!

【漫画】就活中、母との会話

就活中に、母親とこんな会話をしました。結局、わたしの将来に対する甘い考え「子どもができて、アップアップになったら、実家の両親に手伝ってもらう」というのは、叶わず、でした。(父親はあまり面倒見のいいタイプではない…)

母は、2018年8月7日に急性くも膜下出血で倒れ、5日間、脳死の状態で心臓を動かし続けた後に亡くなりました。

→漫画「就活中に、母が倒れた」(全18話完結)

死って何だ?

人が「死」について理解するのは、4歳〜7歳だといいます。ただ、わたしの理解は少し遅かったようで、4歳と7歳の頃に親戚が亡くなった際には、「死ぬ」ということが丸でピンときていませんでした。

わたしは、以下4パターンの「死」に触れました。理解が段々深まっているような、一方いまだに何にも分かっていないような・・。とにもかくにも、「わたしにはとっての“死”」をまとめることで、「死って何だ?」ということについて考えていきたいと思います。

  • 4歳 祖母の兄の、お通夜に行く
  • 7歳 祖母の兄嫁の、遺体と対面する
  • 10歳 祖父を胃ガンで看取る
  • 23歳 母を急性くも膜下出血で亡くす

4歳 祖母の兄の、お通夜に行く

4歳の頃、近所に住んでいた「祖母の兄」が亡くなり、母に連れられお通夜に行きました。「祖母の兄」は60歳くらいでした。

死因は肝臓ガン。棺桶をのぞくと、「祖母の兄」は肌が真っ黄色でした。これは黄疸(おうたん)といって、肝臓の病気の場合などに、血中のビリルビンという色素が増加し、皮膚や粘膜が黄色に染まる状態を指すそうです。

当時は、「死んでしまったということ」「肝臓ガン」「黄疸(おうたん)」…何もかも分かっておらず、勝手に「カレーを食べすぎて肌が黄色くなってしまったんだ」「カレーを食べすぎて寝ているんだな〜」と思っていました。なので、お通夜に集まっている人たちがすすり泣いていることに対して、違和感を覚えていました。

この亡くなった「祖母の兄」は、わたしの母が育児に追われていると、「面倒見ててあげるから休みな〜」と声をかけてくれるような優しい人だったようです。

黄疸の描写について不快に思われた方がいらっしゃいましたら、大変申し訳ございません。当時感じたことを、そのまま書いています。

7歳 祖母の兄嫁の、遺体と対面する

「祖母の兄」が亡くなってから数年。今度は「祖母の兄嫁」が病気で亡くなりました。故人宅に呼ばれ、家族で向かいました。

「祖母の兄嫁」の遺体は、奥にある部屋の布団に横たわっていました。故人の顔にかかった白い布をあげると、びっくりしました。ふくよかで若々しい雰囲気だった「祖母の兄嫁」は、随分と痩せおばあさんになっていました。「病気になると、姿が変わってしまったり、死んでしまったりすることがある」ということが、分かりました。ただ「死」については深く分かっていませんでした。

遺体との対面後、別の部屋で、親戚一同で食事をしました。故人が好んだ食べものが中心にでてきました。人ひとりが亡くなった直後だったため、暗い雰囲気でなかには泣いている人もいました。

この暗い雰囲気が、つらかったことを覚えています。なんとかみんなに笑ってほしいと、急いで駄菓子屋へ「ドッキリ眼鏡(眼鏡のレンズにニヤケた目が印刷されている)」を買いにいき、おどけて見せました。大人たちは誰も笑っておらず、「子どもだから仕方がないね」「もう家に帰っていいよ」と言われたことを覚えています。

10歳 祖父を胃ガンで看取る

誕生日、クリスマス、お正月には、祖父母を含めた家族全員が集まっていましたが(一緒に住んでいたため。日々の食事は別々だった)、ある日なんでもない日に集まるよう言われました。

父が「祖父は胃ガンであること」「病気を治すために、これから入院すること」を説明。その場が重苦しい雰囲気に包まれていたことを覚えています。説明を聞いて、分かったようなふりをしていたものの、「ガン」がなんなのか実はよく分かっていませんでした。

お見舞いに通う日々

それから週に1度ほど、大きな病院へお見舞いに行くようになりました。お見舞いに行く日には、母がわたしたち3姉妹におそろいのワンピースを着させ髪を結ったりしていたので、「お見舞いに行くときには、おしゃれをするものらしい」という自己理解をしました。(明るい色の服でお見舞いに行ったほうが、患者は元気な気持ちになるらしいですね)

お見舞いに行くと、祖父は家にいるときと同じように、野球の試合をテレビで見ていました。病気により痩せてしまっていましたが、元々痩せ型だったため、ものすごい変わっちゃった…という感じはしませんでした。

危篤

小学3年生の7月末。入院から半年〜1年ほどのタイミングだったでしょうか。「いよいよ今日いっぱいか」という連絡があり病院へ向かいました。病院への宿泊が許可されました(患者が危篤の状態だと、家族の宿泊が許可されるケースが多いです)

その時に、はじめて「死」というものが差し迫ってきました。「おじいちゃんが死んでしまったらどうなる?」「多分もう会えなくなる」「生きていてほしい」そんな不安を抱え、布団に丸まっていました。眠れませんでした。

深夜。部屋の外から「子どもたちは眠っちゃっているから、無理に起こす必要はないね」という声が聞こえてきました。祖父の容態がいままさに危ないということでした。わたしは寝ていなかったので、布団から出て、祖父のいる病室へ行きました。

看取り

途端に「死」への恐怖を感じました。「死んでしまう」と、もう今まで通りにはいかないということが、この時点ではハッキリと分かっていました。

「死ぬ瞬間を見るのが怖い」「でも祖父の最期を見届けたい」、この2つの気持ちがごちゃまぜの状態で、病室についているトイレにこもり、トイレットペッパーの端を見つめていました。頭痛がしました。5分ほどしたのち、いつまでもこもっているわけにはいかないとトイレから出て、祖父の様子を見に行きました。

祖父は、苦しんでいる様子もなく、ただ眠っているようでした。最後、息を「ふぅー…」っと吐き出し亡くなったのが印象的でした。神様というものがいるのかいないのか分からないけど、そういった存在に、息をお返しするのだな、と子どもながらに思ったことを覚えています。祖父のときは、「息を引き取る」という表現がぴったりでした。

喪失感

祖父が亡くなったのは夏休み中でしたが、夏休み明けも数ヵ月の間、ボーっとしていました。体に力が入らない、心ここにあらずという感じでしょうか。しばらくすると、直りました。

▼余談 伝える人は選ぼう

放課後、友だちと公園で遊んでいるとき、ふと祖父の死について伝えねば・・と思いました。暗く言うのも良くないと思い、作り笑顔で「実は夏休み中に、おじいちゃんが死んじゃったんだ」と伝えたところ、「笑顔で言うなんて、まるで死んで嬉しいみたいだね」と返されました。

以降、身内に何かあったときに、その出来事を伝える相手は慎重に選んでいます。理由としては、自分が傷つかないためです。

23歳 母を急性くも膜下出血で亡くす

大学4年生、就活中だったとき。2018年8月7日、母親が急性くも膜下出血で倒れ、緊急搬送されました。病院に駆けつけると、母は昏睡状態でした。くも膜下出血で、脳の血管にあるこぶが破裂したショックにより呼吸が自力でできなくなっており、たくさんの管につながれていました。

そして一度も目を覚ますことなく、5日間、脳死の状態で心臓を動かし続けた後に亡くなりました。(2018年8月12日)

→漫画「就活中に、母が倒れた」(全18話完結)

▼補足 くも膜下出血って?

くも膜下出血は、脳動脈瘤と言われる血管のふくらみがある日突然破裂することによって起こります。くも膜下出血の重症度は、「意識レベル」「神経症状の有無(手足の痺れ、失語など)」により5段階評価されます。母は、救急搬送時より昏睡状態だったため、重症度が最も高いグレード5に分類されていました。

くも膜下出血の予後

くも膜下出血を発症した場合、多くの方は救急車で脳神経外科のある病院に運ばれます。意識状態が良く麻痺などない場合は速やかに再破裂予防の手術が行われます。しかし残念ながら約30%の方は昏睡状態で入院されます。このような重症例では既に脳の損傷が著しく、手術の適応にない場合が多いとされています。

一般的にくも膜下出血発症後1ヵ月以内に死亡される方は30%、元気に退院される方は60%で、残りの10%前後の方は高度な障害を後遺されます。元の仕事に復帰される方は40%以下であると言われていますので、恐ろしい病気であることに変わりはありません。

「亀田メディカルセンター 未破裂脳動脈瘤外来」より

死ってなんだ?まとめ

「わたしにはとっての“死”」である以下4パターンを見てきました。

  • 4歳 祖母の兄の、お通夜に行く
  • 7歳 祖母の兄嫁の、遺体と対面する
  • 10歳 祖父を胃ガンで看取る
  • 23歳 母を急性くも膜下出血で亡くす

死因もバラバラ、わたしの受容もバラバラで、一言ではくくれない気がします。

「死ってなんだ?」、それは誰にでも訪れる平等なものなのかもしれません。ですが、ひとの死は、何度経験しても(経験数は少ない方かと・・)、慣れませんし、慣れたくありません。

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衝撃だった母の死「急死は誰にでも起こりうる」

母の死は、衝撃でした。母が死ぬなんて考えてことがなかったからです。120歳くらいまでは軽く生きると思っていました。完全な誤算でした。

急死は誰にでも起こりうる

まず最初に、「急死」は誰にでも起こりうるということを伝えたいです。「誰にでも」ということは、「自身にも」ということです。

急死とは、丈夫でいた人が急に死ぬことをいいます。急死」と聞くと、なにか“訳あり”な気がするかもしれませんが、なにも特別なことではありません。急死のうち半数以上は、心臓発作など心臓の異常が原因とされています。

※「突然死」は「急死」と近い言葉ですが、医学的には「突然死」は症状の発症から24時間以内に亡くなることをいいます。日本では、年間約10万人の方が、突然死により亡くなっています。

母の死をめぐる「心の変化」

「驚き」「不安」「悲しみ」「無気力感」・・・。

母親が亡くなるという1件で、わたしの心はざまざまな状態になりました。以下3つにおける、心の変化について振り返っていきます。

  • 母が倒れる〜
  • 母が亡くなる〜
  • 没後〜

母が倒れる〜

母が倒れてから、どのような気持ちで過ごしたかをざっくり書いていきます。

倒れた当日

母が倒れた日、わたしは精神的ショックから、母の普段の表情、しぐさ、声…そういったもの全てを思い出せなくなってしまいました。

母が倒れたと連絡がくる 信じられないという気持ち/ショックな気持ち
病院に向かう電車 信じたくないという気持ち/生きた心地がしない心境
救急救命室(ER)でたくさんの管につながれた母親を見た 「現実なんだ」という気持ちなにもできない自分への無力感
帰り道 お見舞いが今後ずっと続く場合、「(大学卒業後につく)仕事を、就業時間の短い職種に考え直した方がいいのではないか」という将来に対する不安 ※就活中だったため
帰宅後 いつもは部屋にいるはずの母親が、いないという違和感おかれている状況への戸惑い母親がもしかしたら死んでしまうかもしれないという強い不安

倒れてから2日目・3日目

小さな子どもは、母親が病気になったり亡くなったりすると、「自分が悪い子だから?」と考えてしまうことがあるそうです。わたしは当時23歳で、十分大人だったにも関わらず「もしかして自分のせい?」と、考えてしまっていました・・・。

家族控え室にて どうして母親が倒れなきゃなんないの?という強い憤り/不調を気づいてあげられなかった自分を責める気持ち/やってもらったことに対し、恩返しできていない自分を責める気持ち
救急救命室(ER)にて 声かけなど、できることをすべてやろうという気持ち/母親の両親(祖父母)の精神状態を心配する気持ち
一時帰宅 母の状態を周辺の人へ知らせようという気持ち(母の仕事先など)
帰宅後 疲労感
近所の神社 神にもすがりたい状態(母の回復をお祈り)

倒れてから4日目

医者から、母が脳死であることを告げられ、臓器移植に関する選択が迫られました。「もう助からないよ」と言われたようで(言っているんですが)、とてもショックでした。

結論、「臓器移植はしない」という選択をしました。→漫画、脳死通告の回

手があたたかく、体温が感じられる以上、それを自分の意思で打ち切ることがわたしにはできなかったからです。当然、脳死による臓器移植については賛否両論あるでしょう。

母が亡くなる

脳死の状態で動き続けた心臓でしたが、限界がありました。

脈が乱れはじめ、心臓が止まると、徐々に体温が下がっていきました。血の気がなくなっていく顔色を見ていると、いよいよ死んでしまったのだと悲しみがこみ上げてきました。

死後直後 いよいよ死んでしまったのだという悲しみ/奇跡がおきないかという祈るような気持ち/「いつまでこの状況が続くのだろう」という不安からの解放感(死という最悪な形ではあったが、状況に決着がついたため)。また解放感を感じる自分への自己嫌悪
看取りに間に合わなかった母の両親(祖父母)を見て 祖父が「口びるがいつもきれいな桜色をしていたのに」「(血の気が亡くなり)色褪せてしまった」とふるえる姿を見て、悲しくなる
遺体に対して 柔らかかった二の腕などが、死後硬直により固くなっているのが、死を実感させ悲しかった

母が亡くなったことを、どうしても受け入れられない自分がいました。

当時、ニュースなどで交通事故や殺人事件が報じられており、自分に言い聞かせるように「事故死や他殺ではなくてよかった・・。病死だったから、まだいい(マシ)」と発言したところ、姉から「死に方に、いいも悪いもない。ひとの死に対して順位づけするなんて最低だ。やってはいけないこと」と言われ、反省しました。

没後〜

家族が急死すると、大変です。

あまり知られていないことですが、急死・突然死は、かかりつけの医者がいない場合には「他殺」を疑われ、警察による事情聴取があります。わたしの母の場合、原因が「急性くも膜下出血」とはっきりしていたため、軽い聴取で済みました。

看取り後すぐの事情聴取は、遺族を精神的疲労に追い込む要因のひとつとなっています(警察官もルールに乗っ取って仕事をしているだけなので、仕方ないんですが)

葬式まで

心の準備ができていないまま、葬式までの間バタバタと過ごしました。

亡くなった日 -警察の調査- 急死・突然死は、かかりつけの医者がいない場合には「他殺」を疑われ、警察による事情聴取を伴う→父・姉が対応。2人の精神的疲労を心配する気持ち
遺影選び 手元にいい写真がないため焦る気持ち。もっと写真を撮ってあげれば良かったという気持ち(一緒に旅行いったときも、母はもう年だしいいか・・など勝手に判断し、写真をほとんど撮らなかった。そういう自分の行動への後悔)
家に安置していた、母の遺体に対して 夏場のため、腐敗しないよう留意する必要があり、クーラーを常に18度設定にしていた。できるだけ故人と過ごすように・・という父方祖母の考えなどから、遺体の横で食事を取ったりしていたが、寒さや腐敗臭などにより体調不良になり、精神的にもつらかった
お線香をあげにくる人たちに対して 基本的にはありがたかったが「くも膜下出血だったの?なにかストレスでも抱えてたの?」「双子ちゃんの子育て、きっと大変だったんでしょう(わたしは双子)」という何気ない一言が、嫌なことがあった ※自分のせいと責められている気がしたため

一周忌まで

お葬式後は、状況が落ち着きます。それがまた良くなく、持て余した時間に、考えても仕方がないことを考えたりしてしまい、一時心身ともに不調になりました。

遺産について 「自分で稼いだお金で、好きなものを買うのが一番楽しい」と言っていた母。遺してくれる必要はないから、あの世に全部もっていってほしいという気持ちがあった
訃報連絡について 訃報連絡は、一気にした方がいいという気持ち。父が渋り、わたしは苛立ちを覚えたことがあった(奥さんが亡くなった人として、同情されたくないとのこと)※訃報連絡を怠ると、亡くなってから2年も3年も年賀状が届き、つらい
自分の周囲の人たちに対して 個別に連絡したわけではないのに、「親なんて社会にでたら関係ない。いてもいなくても関係ない」とラインをしてくる人がいたため、不快感を覚えブロックした

▼余談 心身不調の中身

心身不調の中身は以下です。専門家のカウンセリングを受けて徐々に回復し、いまにいたります。

  • 食べものの味を感じない
  • とめどなく涙がでる(拭かないから、机に塩の結晶ができていた)
  • 自分の意思で動けなくなる

一番やばいと思ったのは、駅のホームで「いま死んだら母に会える」という思考が頭によぎったことです。限界を感じたので、医療の力を借りました。

親しい人の死は、ストレスの中でも最大のものだそうです。もし、親しい人を亡くされて、強いストレスを感じている方がいらっしゃいましたら、私のようにカウンセリングを受けるのもひとつの手かもしれません(大手チェーン展開している心療内科は、主治医がコロコロ変わるのでおすすめしません)

〜現在(母を亡くして丸3年)

気持ちのうえでは、大分落ち着きました。「やってもらったことに対し、恩返しできていないことを後悔する気持ち」は、あいかわらずあります。これについては、もうどうしようもないので、愛情を注いでくれたことに対して感謝しながら過ごしていきたいと思います。

▼自分のことは差し置いて、最優先で動いてくれた

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おまけ 心の支えになったこと

つらかったことを中心に書いてきましたが、つらい中でも、心の支えになった人たちや出来事もありました。一部ではありますが、以下に記載します。

  • 姉妹・恋人の存在
  • 心配をして連絡をくれた友だち
  • 顔色の悪さに気づき、気遣ってくれたゼミの先生
  • ブログに励ましのコメントを残してくれたひとたち

普段は「一人でも大丈夫」「何でもできる」なんて思い生活していますが、危機的状況に直面すると、支えてくれている存在に気づきます。

家族との接し方「親孝行は大げさでなくていい」

わたしが描いた「母親の看取り漫画」を読んでくださった方より、ときどき感想をいただきます。ざっくり言うと、こういった内容です。

  • 親孝行しようと思った
  • 家族との時間を大切にしようと思った
  • 親を突然亡くし、同じような境遇である

最も多いのは「親孝行しようと思った」です。この「親孝行」について、思うことがあるので書かせてください。「親孝行」といっても、旅行へ連れていったり、高価なものをプレゼントしたり・・といった、大げさなものでなくていいと思うのです。

これは、わたしの考えですが、母親に対して、以下のことをもっとできたら良かったなぁと思っています。

  • 自分の言葉で感謝を伝える、すぐに謝る
  • 返事はすぐにする
  • 会話は顔を見ながら(振り向かずに、背中を向けて話していることがありました)
  • パソコン・スマホなど、知りたそうにしていることを快く教える

とくに「パソコン・スマホなど、知りたそうにしていることを快く教える」については、とくに後悔しています。説明の手間が面倒くさく、「知りたそうにしている」ことに気づいていながら、気づいていないふりをしてしまいました。

母が倒れる少し前、母はLINEを使いはじめたばっかりで「写真ってどうやって保存すればいいのかなぁ」なんて小さな声で言っていたのを、聞こえているのにスルーしてしまったのをいまでも悔やんでいます。

→漫画「就活中に、母が倒れた」(全18話完結)

主婦やフリーランスは健康診断を!

母は子どもができるまでは会社員をしていたものの、子どもができてからは「主婦」→「フリーランス」でした。なにを言いたいかというと、母は定期的な健康診断を受診していませんでした。

会社に属していない主婦やフリーランスは、自分から動かないとなかなか健康診断を受けないのではないでしょうか。義務ではないため、費用のこともあり、腰が重たくなる気持ちもわかります。

ですが、健康診断はぜひ受けてほしいと思うのです。それが体の異変の発見や、強いては「突然死予防」につながるからです。このエッセイを最後まで読んでくださった、「主婦やフリーランス」ほか健康診断を受けていないひとたちへ。ぜひ定期的な健康診断を受診してください!!!!

突然死 日常生活での予防

  • (会社などの)定期健康診断は必ず受診すること
  • 年に数回は血圧測定をすること ※とくに30歳以上の人
  • 塩分はできるだけ少なくする。肥満を防ぐ
  • 何か症状が出たら医療機関に受診する
  • 禁煙
  • ストレスをさける(特に競争心が強い努力家、性急、短気な人)
  • スポーツなどの趣味を適度に生活の中に取り入れ、睡眠を十分に取る

「東京都監査医務院」より

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